I drew the sights and institution of the center of Tokyo by the offer from the museum shop "SOUVENIR FROM TOKYO" of THE NATIONAL ART CENTER, TOKYO.I am researching and walking in Tokyo. After than, I drew this artwork in my atelier spending one week.
国立新美術館のミュージアムショップ「スーベニアフロムトーキョー」からの依頼で、東京都心の名所・名物を描きました。 実際に東京の町を歩き回り、その日に見たものをアトリエに戻ってから描きました。制作期間は1週間です。
2009 JAPANESE GRAFFITI series
"FROM TOKYO"ジャパニーズグラフィティシリーズ 2009
フロムトキオ
2009 SFT FROM TOKIO MAP
Design by Sayaka Takayama (CIBONE)
“キャラクター”
忍者(にんじゃ)
東京の街でも忍者は任務を遂行中(すいこうちゅう)。忍者(にんじゃ)とは、鎌倉(かまくら)時代から江戸時代の日本で、大名や領主に仕え諜報活動(ちょうほうかつどう)や暗殺(あんさつ)を仕事としていたとされる、個人ないし集団の名称。
九十九神(つくもがみ)
にぎやかになった六本木を訪れてきているのは、九十九神の百鬼夜行(ひゃっきやぎょう・ひゃっきやこう)。付喪神(つくもがみ)とは、長い年月を経て古くなった対象(その多くは何らかの道具や器物であることが多いが、稀(まれ)に動物などの生物も含まれるとされる)に、魂や精霊(せいれい)などが宿るなどして妖怪化したものの総称。「付喪」自体は当て字で、正しくは「九十九」と書く。この九十九は「長い時間(九十九年)や経験」「多種多様(たしゅたよう)な万物(九十九種類)」などを象徴する。また、九十九髪と表記される場合もあるが、「髪」は「白髪」に通じ、同様に長い時間経過や経験を意味し、「多種多様な万物が長い時間や経験を経て神に至る物(者)」のような意味を表すとされる。百鬼夜行(ひゃっきやぎょう・ひゃっきやこう)とは、説話などに登場する深夜の町を集団(この場合の「百」も「九十九」といっしょで「沢山の」という意味)で、徘徊(はいかい)する鬼や妖怪の群れ及びその行進のこと。
阿吽像(あうんぞう)
口が開いている方を阿形(あぎょう)、閉じている方を吽形(うんぎょう)と言う。阿吽(あうん)は仏教の呪文(真言)の1つ。悉曇文字(しったんもじ)梵字(ぼんじ)において、阿は口を開いて最初に出す音、吽は口を閉じて出す最後の音であり、そこから、それぞれ宇宙の始まりと終わりを表す言葉とされた。
梵字=サンスクリット(Sanskrit, 梵: )
風神雷神(ふうじんらいじん)
風神(ふうじん)は、風(かぜ)を司る神、雷神(らいじん)は、日本の民間信仰(みんかんしんこう)や神道(しんどう)における雷(かみなり)の神。2曲1双(にきょくいっそう)・紙本金地着色(しほんきんじちゃくしょく)の国宝、俵屋宗達(たわらや そうたつ)の屏風画(びょうぶが)「風神雷神図(ふうじんらいじんず)」が有名である。
<屏風の数え方>
基本的な構造は、矩形の木枠の骨格に用紙または用布を貼ったもので、この細長いパネルを一扇といい、向かって右から第一扇、第二扇と数える。これを接続したものが屏風の一単位、一隻(一畳、一帖)である。鎌倉時代までは一畳六扇(六曲)が一般的だったが、後の時代には二曲や八曲の屏風もある。室町時代頃から二隻(一双)を単位とするものが増えた。向かって右側の屏風を右隻、左側の屏風を左隻と呼ぶ。
木の国(きのくに)
日本は木の国。近未来は、木の家(内)に住んでいることだろう。
骸骨(がいこつ)
東京には怖くない死があふれている。
将棋(しょうぎ)
将棋(しょうぎ)は日本将棋、本将棋(ほんしょうぎ、歴史的には小将棋(しょうしょうぎ))ともいい、2人で行うボードゲーム(盤上遊戯(ばんじょうゆうぎ))の一種である。相手の捕った駒(こま)を、自分の駒として使えるところが、難しい。
1~10
1~10を持った人が。この絵の中に隠れています。探してね。
“六本木(ろっぽんぎ)〜 麻布(あざぶ)付近”
江戸時代は大半が武家地(ぶけち)だった地域(ちいき)で、お屋敷町(おやしきまち)であった。 戦後、都内有数の繁華街(はんかがい)として全国的に知られるようになった。 インターナショナルな街としてもしられており外国人も多い。
一本松(いっぽんまつ)
麻布七不思議のひとつ。平将門(たいら の まさかど)を討伐にきた源経基(みなもとの つねもと)が、将門の屋敷内を内偵(ないてい)しての帰り道、一軒の民家に泊まって料理をふるまわれた。経基は翌朝、装束(しょうぞく)をあらためて出立しましたが、そのとき脱いだ衣服をかけたのがこの一本松だといわれている。
一本松の前は変わった形の交差点で、どの方向に行っても坂道となっている。そのすべてに名前がついていて、大黒坂(だいこくざか)・暗闇坂(くらやみざか)・一本松坂(いっぽんまつざか)・たぬき坂。現在の松は植え継がれて三代目。冠の松(かむりのまつ)とも秋月邸(あきづきてい)の羽衣の松(はごろものまつ)とも呼ばれていた。この松に甘酒(あまざけ)を竹筒(たけづつ)に入れて収めると咳(せき)が治るという俗信(ぞくしん)もある。ここは、もともと古墳(こふん)で、江戸初期には「首吊塚(くびつりずか)」とも呼ばれ、関が原の合戦(せきがはらのがっせん)で送られてきた首級(くび しるし)を家康(いえやす)が検分し、埋めた所ともいわれている。
六本木(ろっぽんぎ)
麻布七不思議のひとつ。昔このあたりは、武蔵野(むさしの)の雑木林(ぞうきばやし)で大木が生い茂げるジャングルのようであった。5本の榎(えのき)が高くそびえ、品川沖からもよく見えたので漁師の道しるべとなっていた。平安末期(へいあんまっき)、源氏(げんじ)に追われた平家(へいけ)の落ち武者が6人落ちのびてきた。このあたりまで来るともはや力が尽きてしまったので、榎を墓標(ぼひょう)がわりに切腹(せっぷく)し相果(あいは)てた。しかし、その中の一人は、希望を棄てずさらに刀を杖に一本松までさまよったが、ついに力尽きてあとを追った。あたりの村人はこの武者を憐(あわ)れみ、5本の榎に一本の松をいれて六本木として弔った。そしてこのあたりを六本木と言うようになったという。
がま池(がまいけ)
麻布七不思議のひとつ。江戸時代後期(文政年間(ぶんせいねんかん))、山崎主税助(やまざきちからのすけ)という五千石(ごせんごく)の旗本(はたもと)の屋敷があり、美しい日本庭園の中に、広さだけでも約500坪(1650平米)、四面(しめん)は深い樹林(じゅりん)に囲まれ、いかなる日照(ひで)りにも涸(か)れたことがないといわれている池があった。ある夏の夕暮れ、山崎主税助の屋敷に来客があって、池に面した縁側(えんがわ)で茶を飲みながら話をしていると、置いてある菓子が夕闇の中を池の方に飛んでゆく。不思議に思って菓子が飛んでゆく方を見ると池の中に大きな蝦蟇(がま)がいて、菓子を吸っていた。主人の主税助はひどく立腹して明日は池を替え、乾かしてしまうと告げた。するとその晩、がまは白衣の老人となって主税助の夢枕に立ち、罪をわびて防火に尽くすからと許しを請(こ)うた。文政4年古川橋(ふるかわばし)から出火した火がこのあたりまで延焼してきた時、この大がまが水を吹き付けて屋敷を守り、菓子の礼をしたそうな。現在そのほとんどは、埋め立てられてマンションになってしまった。今、麻布で大火事があったとしたら、大がまは水を吹き付けてくれるだろうか。
逆さ銀杏(さかさいちょう)
麻布七不思議のひとつ。麻布山善福寺(あざぶざん ぜんぷくじ)の境内(けいだい)にある大木。つらら状の枝(気根(きこん))が上から何本も垂れ下がっており、まるで根が上にあるようなので「逆さ銀杏」と呼ばれている。貞永元年(じょうえいがんねん)(1232)、親鸞上人(しんらんじょうにん)が京都(きょうと)への旅の途中に立ち寄った記念に、持っていた杖を地にさしたところ枝葉が繁茂(はんも)したとの伝説から「杖イチョウ」の別名もある。善福寺一帯は、昭和20年5月5日の空襲の際に焼夷弾(しょういだん)をうけ、本堂は全焼、イチョウも大きなダメージを受けたが、今では本堂も再建され、逆さ銀杏も樹勢(じゅせい)強く生い茂っている。樹高約35m、幹周り15m。戦災の前は現在の3倍位あったそうだ。その樹齢(じゅれい)約770年の大銀杏は都内最古のものとして国の天然記念物に指定されている。
柳の井戸(やなぎのいど)
麻布七不思議のひとつ。麻布山善福寺(あざぶざん ぜんぷくじ)の総門(そうもん)内右手にあり、弘法大師(こうぼうだいし)が鹿島大明神(かしまだいみょうじん)に祈願(きがん)して柳(やなぎ)の下に錫丈(しゃくじょう)をつきたてたところ清水(きよみず)が湧き出し、そのため鹿島神社の七つの井戸のうち一つは空井戸になったといわれる。また、聖人が柳の小枝で地面を払ったら湧き出したとも伝えられている。この湧水は都内でも数少ない湧水のひとつ。
七色椿(なないろつばき)
麻布七不思議のひとつ。七色の大輪(たいりん)の花をつけ枝を四方に張らせて咲き乱れる素晴らしい椿の古木で、東都(とうと)の名木(めいぼく)として知られている。残念ながら昭和12年に枯死(こし)。
西町スクール(にしまちすくーる)
1947年、ライシャワー博士夫人の妹、松方種子(まつかた・たねこ)女史(じょし)により創設(そうせつ)された。校舎の一部には大正10年完成のウィリアム・ヴォーリス設計の松方正熊(まつかた)邸がそのまま利用されている。 現在世界三十ヶ国400名の子供達が学んでいる。
麻布十番温泉(あざぶじゅうばんおんせん)
麻布十番のランドマークのような存在だった。2008年に廃業(はいぎょう)。
安藤記念教会・安藤幼稚園(あんどうきねんきょうかい・あんどうようちえん)
創立者は安藤太郎(あんどう たろう)氏。都内でも珍しい石造りの教会の建物は、吉武長一(よしたけ)氏の設計、素晴らしいステンドグラスはハワイから贈られたもので制作者は小川三知(おがわ さんち)。東京都選定歴史的建造物(とうきょうとせんていれきしてきけんぞうぶつ)。
青山墓地(あおやまぼち)
東京都港区南青山にある日本で初めての公営墓地。著名人が多数ここに眠っている。
乃木神社(のぎじんじゃ)
乃木坂(おぎざか)にある軍神(ぐんしん) 乃木将軍こと、乃木希典(のぎ まれすけ)を祀った神社。旧乃木邸が併設(へいせつ)されている。乃木の人徳(じんとく)をしのばせる逸話(いつわ)「乃木将軍と辻占売り(つじうらうり)」の銅像もここで見ることができる。乃木は、東郷平八郎(とうごう へいはちろう)とともに日露戦争(にちろせんそう)の英雄(えいゆう)とされ、「聖将(せいしょう)」と呼ばれた人物。乃木は他の将官と違い省部経験・政治経験がほとんどなく、軍人としての生涯の多くを司令官として過した。また、大正元年(たいしょうがんねん)、明治天皇(めいじてんのう)大葬(たいそう)の9月13日夜、妻静子(しずこ)とともに自刃(じじん)による殉死(じゅんし)は、当時の日本国民に多大(ただい)な衝撃を与えた。
国立新美術館(こくりつしんびじゅつかん)
国立の美術館としては、5館目。延床面積は日本最大。ミュージアムショップSFTで高橋信雅グッズをチェックしよう!
六本木ヒルズ(ろっぽんぎひるず)
六本木ヒルズとは、森ビルが17年の歳月を掛けて行った六本木六丁目再開発計画の一環で建築された、超高層ビル「六本木ヒルズ森タワー」を中心とした複合施設である。
東京ミッドタウン(とうきょうみっどたうん)
東京ミッドタウンとは、三井不動産主体で東京都港区赤坂九丁目にあった旧防衛庁跡地の再開発計画により誕生した複合施設及びその地域一帯である。
泉ガーデンタワー(いずみがーでんたわー)
泉ガーデンタワーとは、東京都港区六本木一丁目に所在する、住友不動産所有のオフィスビルである。六本木一丁目西地区第一種市街地再開発事業の一環として旧住友会館跡に建設され、「泉ガーデン」の一角。
“東京都心の名所・名物”
皇居(こうきょ)
江戸城跡地。周囲のお堀の水を巡回させることにより、都心の温度を下げる効果があるらしい。皇居一周4.9777キロメートルは、セレブランナー達の交遊の場となっている。
東京ドーム(とうきょうどーむ)
1988年にできた日本初のドーム型野球場。 愛称はBIG EGG(ビッグエッグ)。「東京ドーム10個分」のように、面積または体積(容積)を表す慣用(かんよう)単位としても良く使われる
東京大学(とうきょうだいがく)
1877年に設置された日本の国立大学である。日本で一番権威(けんい)を持つ大学である。東京大学大講堂、通称「安田講堂(やすだこうどう)」は必見。
そろばん
そろばんは、古典的な計算補助器具。
クワガタ
まだ、東京でも捕まえることができる。
武道館(ぶどうかん)
日本武道館(にっぽんぶどうかん)は、日本伝統の武道を普及奨励し心身錬磨(しんしんれんま)の大道場としての役割を担うことを設立趣旨(そうせつしゅし)とする屋内競技施設。 一方で、日本人の歌手・バンドにとって武道館公演の成功は、「一流」の興行(こうぎょう)能力を持つ事を業界の内外に誇示する一種のステイタスとしての意味を持っているため、極めて重要な位置づけに置かれているコンサート会場でもある。
靖国神社(やすくにじんじゃ)
靖国神社は、幕末から明治維新(めいじいしん)にかけて功のあった志士達から、戊辰戦争(ぼしんせんそう)以降の日本の国内外の事変・戦争等、国事に殉死した日本の軍人、軍属等を祭神とする場所。
明治神宮野球場(めいじじんぐうきゅうじょう)
日本国内では阪神甲子園球場とならんで「野球の聖地」とうたわれる野球場である。
秩父宮(ちちぶのみや)ラグビー場
「西の花園・東の秩父宮」と称され、日本のラグビーにおける中心的な競技場である。
国立競技場(こくりつきょうぎじょう)
国立競技場は1964年の東京オリンピックの競技会場として建設された。 国立競技場は首都東京にある上に立地も良いことなどから、各種競技の全国大会の決勝などに使用されることが多い。 その為、競技者からは「聖地」と呼ばれる。
表参道(おもてさんどう)
日本国内外の有名ブランド店舗が数多く立ち並んでいる道路の通称。 沿道には1927年に建設された同潤会(どうじゅんかい)青山アパートもあったが老朽化(ろうきゅうか)のため2003年に取り壊され、跡地には2006年2月に表参道ヒルズが開業。 また、個性的な店舗が点在しているいわゆる裏原宿のあるキャットストリートの入口もある。
青山(あおやま)
日本国内外の高級ブランド店舗が数多く立ち並んでいる地区。 ベルコモンズ、CIBONE、SPIRAL、子供の城、など。
東宮御所(とうぐうごしょ)
東宮御所とは、皇太子(こうたいし)の居所を指す。 赤坂御用地(あかさかごようち)内は各宮家の邸宅や皇室の施設が点在する。
大学(だいがく)
東京には優秀な大学が沢山ある。
東京タワー(とうきょうたわー)
高度成長期の1958年10月14日に完成した高さ333mの東京地区の集約電波塔。 昼間障害標識として、頂点より黄赤色(インターナショナルオレンジ)と白色を交互に配した塗装となっている。 一般的には、東京のシンボル・観光名所として知られている。はずだが、 2011年完成予定の電波塔「東京スカイツリー」に焼きもちを焼いて、現在家出中である。
新宿(しんじゅく)
新宿(しんじゅく)は、3大副都心の一つ。 日本でも屈指のターミナル駅である新宿駅の西側の繁華街のほか、新宿新都心と呼ばれる世界有数の超高層ビル街がこの地域の代表的存在であり、日本屈指(にほんくっし)のオフィス街を形成している。
花園神社(はなぞのじんじゃ)
新宿の街の中心にあり、「新宿総鎮守(そうちんじゅ)」として、街の守り神として祀られている。 敷地内では各種劇団による催し物などが定期的に開かれ、新宿の街の文化の一翼も担っている。
歌舞伎町(かぶきちょう)
やくざ、キャバクラ、ホストクラブ、居酒屋、パチンコ、ラブホテル。 歌舞伎町は、「眠らない街」とも言われ、深夜になってもネオンで明るく人通りも多い。 合法、非合法を織り交ぜた歌舞伎町独特の雰囲気は、東洋一の歓楽街と言われている。
スキタイの羊 (すきたいのひつじ)
Scythian lamb
UMP.未確認植物(Unidentifed Mysterious Plants) 植物から生える子羊で、茎が子羊のへその緒とつながっている。 茎からもぎ取られるとこの子羊は死んでしまう。 子羊はその茎でつながっているものの自由に動くことが出来、届く範囲にある草を食べる。 しかし、食べる草がなくなってしまうと子羊は死に、その草も枯れてしまう。 新宿とは、そういう街という例え。
閻魔大王(えんまだいおう)
冥界(めいかい)の王・総司(そうじ)として死者の生前の罪を裁くと考えられる。
昇り竜(のぼりりゅう)
新宿では、たまに竜が天に昇る。 ドラゴンボールが7つ揃っても現れる。
新宿御苑(しんじゅくぎょえん)
環境省所管の庭園。
伊達男(だておとこ)
純粋な意味としては「派手な振る舞いをする男」「派手ないでたちの男」という意味だが、時折「粋な男」や「美男子」と言う意味で使われることがある。
ガリバー
異国からやって来たガリバー、東京に縛り付けられてしまう。
原宿(はらじゅく)
明治神宮、代々木公園、竹下通り、ラフォーレ原宿などが近くにあり若者で賑わっている。 1980年前後の竹の子族、1990年代後半の裏原宿系など先端的流行の発信地となった。 現在でも奇異(きい)な格好をして街を歩く若者を多数見ることができる。 修学旅行での来訪者も多い。
国立代々木競技場(こくりつよよぎきょうぎじょう)
第一体育館・第二体育館の他、インドアプールなどからなるスポーツ施設である。 吊り橋構造とすり鉢状の会場は、とても個性的。 桑沢デザイン研究所がすぐ横にある。
明治神宮(めいじじんぐう)
初詣では例年日本一の参拝者数を集める、明治天皇と昭憲皇太后(しょうけんこうたいごう)を祭神とする神社。 正式な表記は「宮」の「呂」の中間の線が入らない『明治神宮』。
代々木公園(よよぎこうえん)
休日には、野外イベントやフリーマーケットなどが行なわれ、良く晴れた日にはピクニックを楽しむ人たちもいて憩いの場として活躍している。
渋谷(しぶや)
渋谷(しぶや)は、3大副都心の一つ。 若者の街として知られ、原宿と並ぶ流行の発信地である。
109(いちまるきゅー)
由来は「東急(とうきゅう)」の読みを数字の「10-9」 → 「いち・まる・きゅう」にあてたゴロ合わせ。 店内のほとんどが10代後半~20代前半の女性向けのテナントで占められている。 その購買層からは「マルキュー」の略称で呼ばれている。
忠犬ハチ公(ちゅうけんはちこう)
飼い主が亡くなった後も駅前で帰りを待ち続けた「忠犬」として有名になった。 待ち合わせスポットとなっている。
モヤイ像(もやいぞう)
モヤイ像は伊豆諸島新島村(いずしょとうにいじまむら)の名物の石像。 イースター島の「モアイ」をモデルにしたもの。 「モヤイ」は「モアイ」を真似た名前であるが、同時に、新島の言葉で「力を合わせる」「助け合う」「共同作業をする」などの意味を持つという。 これは1980年(昭和55年)に、新島の東京都移管100年を記念して、新島から渋谷区へ寄贈されたもの。
富士山(ふじさん)
東京から見て南西の方位角に富士山は見える。 富士山(ふじさん)は、古来より霊峰(れいほう)といわれ、日本の象徴として知られている。 標高3,776m、日本最高峰(さいこうほう)の活火山。 「不二」とも呼ばれ、「並ぶものの無い」という意味以外にも、「一でも二でもないその間の状態」。 一は母、二は子供、不二(2にあらず)とは、お腹にいる子供の自我が生まれる前の状態。 無我の境地(むがのきょうち)、いわゆる「悟り(さとり)」の表現としても使われている。
横浜(よこはま)ー湘南(しょうなん)ー逗子(ずし)ー鎌倉(かまくら)
これより南は、神奈川県。 横浜ー湘南ー逗子ー鎌倉と、心が軽くなる方向です。(観光地へ)
新幹線0系電車(しんかんせんぜろけいでんしゃ)
1964年の東海道(とうかいどう)新幹線開業時に開発された初代の新幹線車両。 世界ではじめて200km/hを超える営業運転を達成した、戦後日本の高度成長時代を象徴する存在である。
お台場(おだいば)
ここは東京都の湾岸(わんがん)エリア、臨海副都心(りんかいふくとしん)は街も橋もレインボー。 自由の女神はここにいる。
汐留(しおどめ)
この高層ビル群のせいで都心の温度は5℃あがった。
ANAとJAL(じゃるとあな)
日本を代表する2大航空会社。
ディズニーランド
千葉にある東京ディズニーランド。
築地(つきじ)
築地市場(つきじしじょう)とは、東京都中央区築地にある公設の卸売市場。 隅田川(すみだがわ)沿いにある、日本最大の魚市場。 東京のみならず日本を代表する卸売市場である。 築地の荷役用として広く利用されている運搬車(うんぱんしゃ)ターレットトラックも必見。 通称(つうしょう)「ぱたぱた」略称(りゃくしょう)「ターレ」。
月島(つきしま)
月島と言えば「もんじゃ焼き」。 月島西仲通り商店街には、50軒以上ものもんじゃ屋が軒を連ねている。 日本の古い街並を残している町。 「もんじゃ焼き」は、小麦粉を主体とした材料を鉄板で調理する日本の料理。 通称「はがし」と呼ばれている「へら」で食べる
銀座(ぎんざ)
日本最大級の繁華街。 「銀座」の名前は、「高級」を表すブランドにもなっている。 歌舞伎座(かぶきざ)や新橋演舞場(しんばしえんぶじょう)等、歌舞伎専用の劇場がある。 歌舞伎(かぶき)は、日本独特の演劇で、重要無形文化財(じゅうようむけいぶんかざい)、伝統芸能(でんとうげんのう)の一つである。
東京駅ロボ(とうきょうえきろぼ)
東京の表玄関とも言うべきターミナル駅ロボット。
平日の1日あたりの発着列車本数は約3,000発。
利用可能な鉄道路線武器(てつどうろせんぶき)は、
東海道線(とうかいどうせん)
中央線(ちゅうおうせん)
山手線(やまのてせん)
京浜東北線(けいひんとうほくせん)
横須賀線(よこすかせん)
総武線(快速)(そうぶせん(かいそく))
京葉線(けいようせん)
東北新幹線(とうほくしんかんせん)
山形新幹線(やまがたしんかんせん)
秋田新幹線(あきたしんかんせん)
上越新幹線(じょうえつしんかんせん)
長野新幹線(ながのしんかんせん)
東海道新幹線(とうかいどうしんかんせん)
丸ノ内線(まるのうちせん)
東西線(大手町駅)(とうぜいせん)
バスターミナルランチャーも装備している。
日本橋(にほんばし)
江戸から東京へと移り変わりのなかで、いつも多くの人と物が行き交ってきた日本の起点。
水天宮(すいてんぐう)
江戸時代より安産・子授けの神として人々から厚い信仰を集める。
両国(りょうごく)
「大相撲(おおずもう)」が行われる両国国技館(こくぎかん)がある。 相撲(すもう)は、日本古来(こらい)の神事(しんじ、かみごと)や祭りで、同時に武芸、武道でもあり、日本の国技である。 「力士(りきし)」「相撲取り(すもうとり)」と呼ばれる、体の大きい力自慢(ちからじまん)の男2人が、「まわし」と呼ばれる布一枚を股間(こかん)に巻いたほとんど裸の状態で戦う。 相手の足の裏以外を土俵(どひょう)の土に触れさせた場合、相手を土俵の外に出した場合に勝敗が決まる。
秋葉原(あきはばら)
太平洋戦争(たいようせんそう)後、高度経済成長(こうどけいざいせちょう)とともに世界有数の電気街として発展した町。 通称「アキバ」。 パソコン、アニメ、ゲーム、同人誌、メイドカフェ、フィギュア、コスプレ、ジャンク!。 オタク達の聖地(せいち)である。
上野(うえの)
日本最初の公園である上野公園や、商店街がある繁華街。喫茶店(きっさてん)発祥(はっしょう)の地。 上野公園には、動物園・図書館・博物館・美術館・文化会館などの文化施設が多数ある。 桜の名所としても有名で、古くから春には花見の人出で賑わう。 また、上野駅は、東京の「北の玄関口(げんかんぐち)」である。
山谷(さんや)
東京都台東区・荒川区にある寄せ場(日雇い労働者の滞在する場所、俗に言うドヤ街)の通称。
浅草(あさくさ)
古くからの浅草地区のランドマークとして浅草寺山門(せんそうじさんもん)である雷門(かみなりもん)が知られる。 浅草寺(せんそうじ)は、東京都内最古の寺院である。 日本最古の遊園地「花やしき」に、国産初、日本で現存最古のローラーコースターがある。
吉原(よしわら)
江戸時代以降、公許の遊女(ゆうじょ)屋が集まる遊廓(ゆうかく)があった地域。 日本一のソープランド街としても知られる。
谷根千(やねせん)
谷根千(やねせん)は、東京の下町として有名な文京区から台東区(たいとうく)一帯の谷中(やなか)・根津(ねず)・千駄木(せんだぎ)周辺地区を指す総称。 この地域は山手線内側にありながら、大規模開発を免れたため、一昔前の街並みが残っている。
巣鴨(すがも)
とげぬき地蔵(じぞう)で有名な巣鴨地蔵通り商店街周辺は、「おばあちゃんの原宿」として賑わっている。 巣鴨駅前商店街にあるマクドナルド巣鴨店の店内には、シルバーシートがある。
池袋(いけぶくろ)
池袋は、山の手3大副都心の一つ。フクロウが沢山いる街。 芸術劇場、サンシャインシティ、ナンジャタウン、女性向けオタクストリート乙女ロード、重要文化財(じゅうようぶんかざい)に指定されているフランク・ロイド・ライト設計の自由学園明日館(じゆうがくえん みょうにちかん)などがある。ちなみに高橋信雅と光穂は明日館で結婚式を挙げた。
鬼子母神(きしぼじん)
子供の守り神として有名な鬼子母神は、境内に"子育て(こそだて)"や"子授け(こさずけ)"の神木(しんぼく)・大イチョウやケヤキ並木(なみき)があり秋の紅葉(こうよう)は美しく、10月にはお祭りが開かれ露店(ろてん)が並ぶ。
雑司ヶ谷霊園(ぞうしがやれいえん)
ジョン万次郎(まんじろう)、夏目漱石(なつめ そうせき)、竹久夢二(たけひさ ゆめじ)など著名人(ちょめいじん)の墓が多くあり、夏目漱石の小説『こゝろ』の舞台にもなっている。
ばあちゃんハウス
この絵を描いたアーティスト高橋信雅(たかはしのぶまさ)のアトリエ。
Report 20090403
Cliant: SOUVENIR FROM TOKYO (THE NATIONAL ART CENTER, TOKYO)
Art: Nobumasa Takahashi