『「良い」の高橋定義』
反対語から考えてみた。
良い:悪い
陽:陰
祈り:呪い
白:黒
祈りと呪いのあたりでピンと来て、白と黒ではっきりとする。
この反対同士は「同じ」ものだ。
「世の中には、百の正義があるだけだ」
(百は、日本語古典表現で沢山の意味)
自分が「悪い」と思っていることでも、それを行なっている人は「良い」と思ってやっている場合がある、という言葉。
「良い」は、他の人からみると「悪い」となる可能性がある。
そして今「悪い」と感じる事でも、理解ができていないだけで、将来「良い」となりうる可能性があるということを教えてくれる私の好きな言葉の一つである。
「良い」という感情は、言葉以前の問題であるという事だ。
だからといって全ての人が感じる完全なる「良い」は、どこかに存在する気がする。
でも、心で捕まえた「良い」は、表現した時点で「悪い」と変化する可能性があるということだ。
表現には、そういった限界があるのだろうか。
でも「良い」とは、言葉だ。
「良い」という感情に「良い」という言葉がどう、関わっているのか。
まず、「良い」という感情は、何が突き動かすのか。
何を突き動かすのか。
そして、その「良い」と感じた事を、どう表現して「良い/悪い」としているのか。
広がる:縮まる
速い:遅い
温かい:冷たい
溶ける:固まる
生きる:死ぬ
広がることは、私の考える「良い」に近い。
自分が遠くまで届くこと。
自分てなんだ?
人間だ。
他の生命体と違うところは何処だ?
何処で人間らしいといえる?
人間である事は「意志」があるということ。
「意志」が遠くまで届くことは、私の考える「良い」に近い。
冷え固まるよりも、温かい、熱くて弾け溶ける。
楽しくて動き回って、踊りまくる。
見た人たちが、冷えるより、熱して欲しい。
固まったものを、熱く溶かしてしまう事は、私の考える「良い」に近い。
生命体が、とどまる事、止まる事は、死。
変化する事は、生きるということ。
生命の根源だと考えた。
生きて、変化し続けることは、私の考える「良い」に近い。
「肌が合う(気性が合う)」人と時間を一緒に過ごす。
気の合う人と「肌を合わせる(心を通わせる)」。
他人の為に「一肌脱ぐ(他者のために身を入れて尽力する)」を、最近力を入れて行なっている。
ヒキコモリだった私は、外へ出て広がりを求める。
肌が関連する言葉は何か「心」とか「感情」のようなものに微細にかかわっているように思える。
実際に人にあって、肌を通わすという事は「心」をつなげる事になると思う。
「心」を遠くまで届けることは、私の考える「良い」に近い。
はっきりと判らないけど、不変なのはそんなところ。
遠く離れた宇宙人の「心」まで、熱く踊らせれたら、「良い」と思う。
20100624 ∞