This series was announced by the private exhibition " GHOST SOUP " at Akabanebashi ART GUILD in 2002 and the private exhibition " BANANA JAM " at Niigata Returner in 2003.
This is the series which experimented in expansion of the "possession time" of a picture. With the mechanism, it was proved whether "possession time", "length of stay", and "raison d'etre" would amplify.
2002年に東京タワーの麓、赤羽橋ギャラリーアートギルドで行った個展「ゴーストスープ」 。2003年に新潟レインボータワーの麓、万代シティホール リターナで行った個展「バナナジャム」にて正式発表。
絵の「所有時間」の拡大実験を行ったシリーズ。 仕掛けにより「所有時間」「滞在時間」「存在意義」が増幅するかを立証した。
ここで説明している絵の「所有時間」とは、絵を見ている人が、絵の中に認めることができる時間の幅。 絵を見ている人に想像させる「深さ」ともいえる。 絵に「人物」が描かれていたとする、描かれている時間だけでなく「人物」の過去、生んだ父親、母親まで想像させ、人類の誕生まで想像させたらそれは、深いと言えよう。 また未来、「人物」の一生、死、人類の発展、世界のありようまで想像させたらそれは、深いと言えよう。
高橋信雅の描く絵の特徴のひとつにこの「所有時間が多い」という現象がある。 時間の前後(過去未来)の時間幅が、他の絵描きよりも広いのだ。 これは高橋自身の持つ「夢遊病(*1)」が原因で起る現象だと分析される。
高橋信雅が「良い」と考える絵の中には具象/抽象に関わらず、物語を感じるものが多い。 描かれている者、世界がなぜ此処にいて存在し、どこへ行くのかということに興味がある。 この世に存在する為には必要なことがある。 絵の中の小さなモチーフでさえ、理由がない限り存在することは出来ない。
絵の場合、この世界にいる絵描きが、この世界への存在を許可して手伝いすることにより、居場所を得るのである。 ただし、それは現段階では絵描きのみに許可された者であり、しばらくの間の仮の滞在と考えてよいだろう。 小さなモチーフだからという訳ではなく、大きなモチーフ、絵描きでさえも、志や大義名分がなければ、その存在はすぐにこの世界から消えることになる。 多くの人(もの)に「存在意義」を受け入れられるのと比例して、この世界での「滞在時間」は増えるのである。
「所有時間」=「滞在時間」
私は「滞在時間」と「所有時間」を比例関係に考える。
素材が持つ「所有時間」が増えれば、絵を見る時間が増え、「滞在時間」は増すことになる。 また、「滞在時間」が増すということは、絵を見た人の「興味」が増えたことになり、「存在意義」が生まれている証拠になると考えたのである。 上記で記した「絵を見る時間」は「絵を見続けた時間」と比例関係には無いので注意したい。 実際に絵を見ているのは、一瞬かもしれない「絵を意識する時間」と例えた方が、正しい。
「滞在時間」=「存在意義」
夢遊病者である高橋信雅は、絵はもちろんのこと、日常生活でもその「個」に対する想像時間が多い。 「個」に対する「興味」が他人よりも大きいようだ。 コップについた傷ひとつとっても、そこから何時間でも夢を見ることができる。 それは当然自分の絵を描く時にも発生する。 絵の中に存在するコップの傷、石や壁や果物、服や人物にさえその想像の異世界へ誘う「仕掛け」は施されていく。 描かれた岩に大きな「引っ掻き傷」を描くことで、画面に入りきらない「巨大生物」を描くことは容易いのである。
絵の特徴の一つに、「情報量を増やしても容器の大きさは変わらない」というものがある。 文章で例えると、情報を足せば足す程、文字量は増え、容器の大きさは拡大する。 詩のように、文章を削っても、着地点をしっかりと定めることができる「神」のような素晴らしい芸術もあるが、やはり「この世界の容器の大きさ」の話しで言えば拡大する。 高橋の詩の認識は「伝えたいイメージの周辺に的確に杭を打って、伝えたいイメージではなく杭の説明だけで、伝えたいイメージを表現伝達する」である。 例えると、伝えたいイメージが大きければ、杭の本数は増えるという具合である。 また、この世界への落とし込みの場合は、文字数、言葉の数がそのことを表している。 絵は、伝えたいイメージが大きい場合でも、この世界の容器の大きさを変える必要は無く、表現方法を変えるだけで内容量を増やすことは、その他の芸術に比べて「容易い」と感じるのである。
このシリーズは、描かれているものは「入り口」であり、表現するのは、その後ろにある「治まりきらない世界」ということを常識の認識とし、画法としての確立を狙ったものである。
このシリーズ作品の物語は、この研究概念を与えてくれた「みっちゃん(*2)」に捧げるものとなっている。
日本で「画家」のイメージは、「貧乏」「社会適応できない」というもの。 そのころの高橋信雅は、上記を体現するようなアトリエで制作研究のみを行う「引きこもり(*3)」だった。 自分の本物の絵を目指して制作している中、社会上、正反対の「みっちゃん」と出会うことで、想像ではない、この世界の現実というものを教えられた。
「この世界に残るということとは?」
「多くの人が感動することとは?」
国が安定していない地区でも、存在し続ける作品とは、大いなる意味を多くの人が認識しているか、壊すのがめんどくさいぐらい大きいか。(現実問題) この世界の偉大なものより偉大ものは、この世界には無い。(宗教哲学的観念)
旅をしているみっちゃんから発せられる言葉は、単純な攻撃で、私の理論武装をいつも一瞬で粉々にしていく。 その中、立証した理論と強固な絵だけは、いつもその単純な攻撃を耐え抜いた。 砕かれるごとに再構築されるアイデアも鍛えられる鉄のごとく鍛造されていった。
単純な美を求めるのであれば、この世界にある素晴らしいものをいくら組み合わせても、自然にはかなわない。 表現するのであれば、この世界に無いものを表現するしかない。 という基本概念が、構成されたのも、みっちゃんと出会った制作初期である。
そうなると、アトリエの中にあるものだけでは、素材が足りなくなる。 インターネットで、吸収できる情報では足りなくなる。 現場に出て、この世界の状態正体を、認識せざるおえなくなる。 そうやって、高橋は「引きこもり」を返上して、外へ出るようになった。
CUTE series には、おばけが多数、登場している。 そして、「みっちゃん」と名付けた「おばけ」が見える女の子が登場する。
「おばけ」だけでは、物語にならない。 「おばけ」を見ることが出来る「みっちゃん」がいることにより、初めて物語になることができる。
「絵」もそれを「絵」と認識して、見ることが出来る人がいることで、この世界での「存在」を許される。 高橋信雅の「絵」は、「人を対象とする事」を前提で制作されている。 「描いた紙」を向けると、樹や建物、岩まで避けてしまうような「奇跡の紙」を「絵」と認識しない。 高橋信雅の「絵」とは、人を対象とし「人の形を変える」事を目的に制作されている。
日本における「絵」の存在は、見る努力をしなければ、ちゃんと見ることができない。 「引きこもり」の絵描きだった高橋信雅も同様。 社会から見た人間としては薄く透けていて、「おばけ」同様、見ようとした人にしか見えない存在。
「おばけ」は「絵」であり「高橋信雅」本人である。 「おばけ」が見える「みっちゃん」と一緒にいることによって、この世界における「存在意義」ができ、絵の定義を変えず、社会に出ることにより社会側からも存在に気付いてもらえる様になってきた。
2002年CUTE seriesの発表以来、高橋信雅はサインを描く際に、「おばけ」を必ず描いている。 これには、「私(絵/仕掛け)を見つけてくれてありがとう。これからも私(絵/仕掛け)を探してください」という思いが込められている。 「おばけ」を描くたび、探してくれる人たちが楽しめるように、この世界にたくさんの「おばけ(絵/仕掛け/入り口/私)を作り出していこう」という思いが強くなっていく。
「本物の絵の追求という絵描きとしての人生」「社会からの存在意義定着という芸術家としての人生」「この世界での立ち位置の確定という高橋信雅として人生」という「人の三倍生きよう」計画が2人の中で発動したのもこの頃である。
“註釈”
*1
夢遊病(むゆうびょう)とは、睡眠中に起きる人間の異常行動のひとつ。 夢遊病は多くの場合ノンレム睡眠の間に発生し、眠った状態のままで体は起き上がり、家の中を歩き回るといった症状。 眠りに入ってから1~3時間の間(深いノンレム睡眠)に起こりやすく、個人差はあるが、数分から30分程度持続し、最終的には自分で戻りまた眠る。 この症状が起きている最中の患者に対して話しかけると、反応をして返事をすることもあるが、脳が通常の活動をしていないために、通常のやりとりは成りたたない。 起きたときには、患者は自分の行動を覚えていないことが大きな特徴。 夢遊病患者は、その症状が出て歩き回っている間は、人に危害を加えることはない。 精神的に何か問題を抱えていることが多く、そうした欲求不満や心の葛藤が無意識のレベルで行動に出てしまうのが原因だといわれている。
*2
みっちゃんとは、高橋信雅の妻「光穂」の呼び名。 みっちゃんは元々、名古屋のホテルオオクラのパティシエだったが1996年に社会に見切りをつけバックパッカーとして頻繁に旅にでている。 1999年、東京に来て高橋信雅と出会ってからも1年おきに海外へ3ヶ月~半年間、旅へ。 2006年、長女"穏(おん)"が生まれた後も一緒に1歳半でパリへ、3歳でネパールへ1ヶ月、5歳でインド~ネパール~タイへ3ヶ月、現在も旅を続けている。
*3
引きこもり(ひきこもり)とは、人がある程度狭い生活空間の中に退避し、社会生活の場や一般的な人間関係が長期にわたり失われてしまっている状態のこと。 具体的には、自分の部屋でほとんどの時間を過ごし、学校や会社には行かない状態、あるいはそのような状態に陥っている人のこと。「引き籠もり」とも表記する。
全体はうすく溶かした水彩絵の具を重ねてできるやさしい艶消しの画に、白色のみ乾燥した後にぽっこりと盛り上がり艶がでるペンキを使用している。 「マチエルの違い」が引き立ち、絵が可愛く見える。 それで「CUTE series」と名付けた。